『意地悪刑事』(クロード・シャブロル/1985)


輸入DVDで80年代シャブロル。原題は”鶏肉のビネガー”といったところなんだけど、映画を見れば思わず納得の邦題。ジャン・ポワレのヤクザ紛いの破天荒な捜査が強烈すぎ。当然元妻ステファーヌ・オードランが出ていることが個人的に最大のポイント。ただこれはあとで調べて知ったことなのだけど、この興味深さが同時に悲痛さを纏ってしまうのは、ステファーヌ・オードランの「物語」を受け継ぐのがベルナデット・ラフォンの娘ポリーヌ・ラフォンというところ。1988年に25歳の若さで亡くなったポリーヌ。一人の美青年=息子(ルーカス・ベルヴォー)を中心に女性崇拝、母性崇拝がシャブロレスクな伏線のポエジーとして暴かれる本作にあって、登場する女性たちは皆、鏡像関係にある。全体を統括する女王然としたステファーヌ・オードランの後頭部から広がるショットは、しかし同時に自らの権威失脚の予感を知る寂しい背中でもある。彼女は一人呟く。「いつしか息子は去っていく」。



売却を迫られた屋敷の中、車椅子に乗って快活に動き回るオードランは息子を完全なる愛の支配下に置いている。オードランとラフォンの鏡像関係を暗示する2つの印象的なシーンある。ひとつはオードランの車椅子での移動と、やや不自然なところが面白いオフィスにおけるラフォンの椅子に乗った移動。もうひとつはルーカス・ベルヴォーとのそれぞれの食事シーン。オードランの給士のようなルーカス青年と、レストランにおけるポリーヌに任せたオーダー、青年の態度の決定はどちらも女性=母に支配されるという点にある。


またミステリアスな美女アンナを演じるキャロリーヌ・セリエが、青年の運転する横で青年の横顔を凝視したままの姿が、まるで彫像化された女性のように思えるところや、深夜の庭、実際に女性の彫像と母に泣きすがるブルジョア男性のシーン、オードランの前に燃え盛る炎と裸体の彫像の破壊、様々な思惑が絡む謎解きが怒涛の展開で解明されるクライマックス。オードランの必死に歩く姿を一目見た青年が一目散に未来の女性に走り寄るのは、この物語が母なる継承の物語だということをドラスティックに示している。ただ、未来の女性・母=ポリーヌがいないということだけが本当に悲しい。


追記*ここで描かれている女性崇拝や母子関係はこの言葉を聞いたときに思うステレオタイプとは大きな隔たりがあることは言っておかねばならない。文中に「失脚」という言葉を使ってしまったものの、この母子関係は所謂、直線、垂直、継承の父子関係とは相容れないもので、どちらかというとキラ・ムラートワの『長い見送り』やアニエス・ヴァルダの諸作で描かれる母子関係、女性作家が描く母子関係の情感に近い、が、そのどちらとも全く似ていない。正直この複雑な多面性を備えた母子関係を表わす言葉は見つからないものの、このようなシャブロルの多面的な演出、作家性は改めて発見されるべきだと思う。さり気なくキメが細かい。そして揺さぶられる。