『パブリック・エネミーズ』(マイケル・マン/2009)


地元シネコンレイトにて『パブリック・エネミーズ』初日。この作品を「顔」でつなぐ切り返しのサスペンス、とするならば、同じ土俵に乗ったマイケル・マンに対するトニー・スコットの圧倒的優位は揺るがない。職人芸の域を超え奇妙な突出さえ見せるトニスコ映画における「顔」ショットの現在性とは対照的に、マイケル・マンの「顔」はクラシカルなフレームに収まっているように思う。冒頭の脱獄シーンにおける繋いだ手と手のアップ(”ゴダール・ショット?”)の引き裂かれや、ジョニー・デップとヒロイン=マリオン・コティヤールの執拗な顔の切り返しに添うような形で劇伴に使われるメロドラマのような音楽、キメのスタンダード「Bye Bye Blackbird」に心揺るがされるものの、正直前半はトニスコの優位性ばかりに頭がいってしまっていた。ところが。


リアルタイムで劇場で見たデ・ニーロとパチーノ共演の『ヒート』は、クライマックスの引き伸ばされたかのような銃撃戦だけが強く記憶に焼き付いていて(ウソ。ヴァル・キルマーの顔!)、その記憶は本作の夜の森における逃亡シーンで完全な形でフラッシュバックされた。ある意味ニューシネマ的に緩慢に引き伸ばされたこの銃撃戦は、白々しさの一歩手前で踏みとどまる。いやむしろ白々しさが夢幻の世界へ誘う入り口になってると言うべきか。夜なのにまるで白昼夢に迷い込んだかのような独特の時間がここでは発生する。引き伸ばされたサスペンス。この引き伸ばしはラストでより刺激的な形で披露される。トニスコは完全に頭から離れ、マイケル・マンの自力が浮上した瞬間。



ジョニー・デップマリオン・コティヤールの執拗な切り返し(コティヤールにコートを掛けてあげるショットが素敵だ!)は物語の終盤、思ってもみない形で実を結ぶことになる。ちょっとだけ太めのジョニー・デップが蓄えた口髭が誰かに似ていると思ったら、なるほど、あの古典映画の俳優かと。詳細は是非劇場で体験してほしいので書かない。ただ『イングロ』に続き映画館におけるトビキリに美しいシーンがあることは宣伝しておく。勿論これが単なる映画遊びではなく、散りばめられたショットの積み重ね=伏線が実を結ぶ、決定的なショットだからこそ感動してしまうわけだけど。


引き伸ばされた銃撃戦の白々しさが徐々に実を結ぶように、劇中、宙に放たれるキザすぎるくらいの決め文句も見事な結実をみせる。個人的にジョニー・デップは当世随一の役者、この人を同時代で追えることが嬉しいとさえ思わせてくれる数少ない存在。どんどんよくなっていくジョニーに感動してしまったよ。さようなら、ブラックバード