『TOCHKA』(松村浩行/2009)


東京国際映画祭3日目「日本映画・ある視点」部門にて『TOCHKA』。全てのショットに迷いのない強度が宿っている恐るべき作品。アメリカ軍に攻められることなく北海道の広大な大地にポツネンと取り残されたトーチカ。藤田陽子がトーチカから眺める枠で切り取られた景色は、スクリーンを想起させる。景色のずっと奥のほうから菅田俊が登場する。


劇中の9割以上が、藤田陽子菅田俊の二人だけの舞台、二人の会話は切り返しで構成される。二人が同一フレームに収まることは不自然なまでに殆どない。二人は会話の立ち位置を移動することなく止まったまま会話をする。切り返しは劇的効果をあげることはなく、むしろ劇的効果だけを周到に避けているかのようだ。父親がトーチカで焼身自殺を図ったという菅田俊と、亡くなった彼氏がトーチカから眺めた写真を持っていたという藤田陽子の出会い。停滞する時間に「遅延された自殺」という甘美な言葉が頭をよぎる。『TOCHKA』における時間とは身振りの間だけ動く時間のことである。ここで身振りの時間=映画の時間というアナロジーが可能かもしれない。執拗な切り返しの果てに徐々に藤田陽子菅田俊が鏡像関係のような契約を結ぶ。切り返しによる転移といったほうがよいかもしれない。菅田俊が持つ酒瓶と煙草という小道具。藤田陽子が何度目かの切り返しの末、煙草に火を点ける(まさかの煙草!)ショットに只ならぬ緊張が宿る。死者を故郷とする出発。やがて(又は最初から)時計の刻みに狂いが生じる。いざカイロス時間へ。


ここから先は公開前ということで自粛。厳しさに貫かれた作品。どうか固唾を呑んで最後まで見届けてほしい。10分以上(!?)にも及ぶ菅田俊長回しは切実すぎた。プロセスが真に迫る。上映後のQ&A、あの恐ろしいシーンでのガムテープは菅田俊の持参したアイディアなんだそうだ。あのガムテープこそ、素晴らしい。カメラを回す時間さえも全て役者に委ねたという痺れるような話。今週末よりユーロスペースで公開。


必見!以下刺激的な予告編。