『シルヴィアのいる街での写真』(ホセ・ルイス・ゲリン/2007)


佐々木敦氏責任編集の音楽誌「ヒアホン」創刊号は横浜の書店では手に入らないようで無念。楽しみなんです。早く読まねば。「nobody」最新号はスコリモフスキー表紙&インタビューだとか、廣瀬純氏の「ショット/切り返しショット、ゴダールレヴィナス」だとか、嬉しい記事が。で、あの素晴らしい『シルビアのいる街で』のホセ・ルイス・ゲリンのインタビューまで掲載されてるわけですが、個人的にスペインからDVD−BOXを取り寄せたばかりなので素晴らしくタイムリーな記事。嬉しい。撮影の前にまずロケ地の音を録るというのはすごく興味深いですね。



『シルヴィアのいる街での写真』は『シルビアのいる街で』と同時に撮られた写真(連続写真)を幻惑的な多重オーバーラップやフェイドイン/アウトと控えめな字幕で紡いでいく詩情に満ち溢れた逸品。サイレント、67分。この作品この間見た『スクリーンテスト』(ウォーホール)みたいに複数のスクリーンでインスタレーションとして展示すればメチャクチャ刺激的だろうなと思っていたら、やはりそういった展示のされ方をされていたらしいです。(おそらく)素晴らしい音響付きで。



シルビアのいる街で』が1984年を舞台にしていたことが告白される(2006年から22年前と)「Ciudad de Sylvia」が第1部、第2部でスペインに戻り(「Barcelona-Madrid」)第3部で24歳という若さで夭逝した女性ベアトリーチェ(ダンテ『新生』)を巡る街の詩情(「Ciudad de Beatriz」)を浮かび上がらせ、第4部、街の壁に落書きされた「LAURA」(「Ciudad de Laura」)そして第5部(「Un Itinerario」)で再度女性の背後を追い求めるという構成。右の画像はスペイン篇プラットホームの美女。ここの編集が超絶で、行き交うメトロと背景の広告とバイオリンを奏でる少女の多重的なオーバーラップが、静止画だということを忘れさせるくらい動的だ。聴こえないはずの音まで幻聴してしまう!複数の視点。視点が少しずつズレていく感じといったらよいか。第1部で複数の人の目の写真で巻かれた樹が出てきたり、路上の女性が2度目に見上げると次の瞬間アパートの窓際に立つ人が絵になっていたりとか、窓ガラスへの多重的な映りこみや迷路のような路地や立体的な音設計がいつの間にか空間のズレを生んでいく『シルビアのいる街で』を似て非なる方法でアプローチしているというか。たとえば冒頭で挿入されるヒコウキ雲は、再び挿入されると女性に吹く風となる、しかも風の音はたしかに聴こえてしまうのだ。主人公は女性の顔だけが思い出せない。どこまでも視線が合わない男と女の絵の連続写真や、顔のない女神像、、。


マネの最晩年の作品『フォリー=ベルジェール劇場のバー』がスペインでの滞在先のホテルの壁に架けられている。『フォリー=ベルジェール劇場のバー』は空間的な矛盾(角度が一致しない)を敢えて取り入れた絵画作品として知られ、尚且つその額のガラス版に主人公と思しき男性まで映り込んでいるのが興味深い。静止画が、再び行き交う列車越しにホームに佇む美女を捉えるとき、画面は文字通り動き出す。解き放たれたかのような活動写真がラストに待っている。美しい!