『フェルディドゥルケ』(イエジー・スコリモフスキー/1992)


輸入DVDでスコリモフスキー92年の作品。東京国際映画祭での『アンナと過ごした4日間ティーチインの際「前作は妥協の産物」と監督自身言っていた記憶があるのですが、そんな言葉は聴かなかったことにする。ナンセンス喜劇の傑作、そして厄介なほど奇怪な作品です。


30歳の作家が教授の誘いに導かれ高校生に年齢退行してドタバタ・・・という御話(原作はヴィトルド・ゴンブローヴィッチ)なのだけど、各エピソードがあまりにも散文的で突飛な発想の連続な為、要約は不可と思われる、、、のだけど、決して難解な作品というわけではなく、ブラックでシニカルな笑いの数々やそこでの俳優たちによるギリギリのアクションには、むしろ瞬発的に開放されたオプティミズムを感じる。テニスの試合、何処か遠くの森で発砲された弾丸が、試合観戦前の男性に当たり、男はそのまま前の席の女性にもたれ掛かるように倒れる。すると女は男をおんぶしたままコートに侵入、会場にいる全女性が彼女の真似をしてテニスコートを走り回る/埋め尽くす、そして音楽隊がマーチを演奏、大騒ぎ、という名シーンが一例。ガスマスク&白馬に乗った白装束軍団や、ナチスの旗を掲げた男たち、人間は犬のように吠え結集し松明を掲げ、やがて対ブルジョワジー(対人間?)の暴動が起こる。そして常に異常なハイテンションの高校生たち、、。


主人公と恋人が夜、薄い霧の立ち込める河でボートを漕いで「暴動」から脱走するシーンの幽玄的な美しさ(夜の車も最高!)。このボート漕ぎは、ファーストカットの大きな橋の下を緩やかに進む無人カメラと符合している。そしてボートには”TRANCE−ATLANTYK”の文字が。一人ボートに残された男は、まるでボート=胎内のように眠りにつく。ゆっくりと河を下るボート。次の瞬間画面は切り替わり、深紅の空、怒涛の空爆が繰り返されるところで、この映画は幕を閉じる。


水上(奇妙なことに小さな島が動く)でピアノ=劇伴を弾くシーンに『Torrents of Spring』(1989)における水上白馬の究極に美しいロングショットを思い出す。
ファンタスティック!

フェルディドゥルケ (平凡社ライブラリー)

フェルディドゥルケ (平凡社ライブラリー)