『DV_ドメスティック・バイオレンス』(フレデリック・ワイズマン/01’米)

アテネフランセで。シークエンスとシークエンスの合間(という言葉がドキュメンタリー作品に有効なのかどうか分かりませんが)に短いショットでパッパッパッと挿まれる「交通」の空絵がメチャクチャ格好よい。ここに出てくる加害者/被害者たちは、何故にこんな絵面のよい顔をしているのだろう?と不謹慎にも思ってしまうほどに、どの顔のアップも印象的。小さな女の子の、カメラを若干意識したような表情が眼に焼きつく。つまりこの映画もまた決定的に映画な瞬間に溢れているわけで。ラストの深〜い陰影に富んだシーンなんて、まるでイーストウッドの画面でも見ているようだし。


なぜ犠牲者は傷つけられることを許してしまうのか


「オー!ゴッド、肩が痛いよ。オー!ゴッド、肩が痛いよ。オー!ゴッド、肩が痛いよ。」と全身夥しいほどの出血にまみれながら、気が触れたようにこう繰り返す婦人は、夫に暴力を振るわれたことを決して口外しない。ストーカー行為に怯える女性は、何故自分ばかりが逃げ続けなければならないのか、カウンセラーにこの世の不公平さを訴える。様々な暴力のケースと、それに対するディスカッションが繰り返され、その合間合間に、ほとんど透き通ったような街の風景がパッパッパッと挿まれる。街は恐ろしい。