『それでも恋するバルセロナ』(ウディ・アレン/2008)


スタジオボイスが休刊というニュースにはびっくりした。ちょうど古屋兎丸さんの『プラスチック・ガール』が連載されていた頃がこの雑誌を一番読んでいた時期でしょうか。いやね、以前はけっこうなボイスっ子でした。カタログ文化全盛時の頃のことは世代的に知らないのだけど、『ポーラX』のときのカラックス特集とか。フィッシュマンズ特集とか。ゴダールオリヴェイラの対談とか。『薔薇の葬列』が表紙の「1968新宿特集」とか。いまでも大事に保存してあります。でもここ数年この雑誌に対する興味は徐々に下降ぎみ、気づけば立ち読みすら怪しい態度になってたのも事実。最新号の「相対性理論特集」には期待してたものの、内容は期待値を下回るものでした。とはいえやっぱ寂しいな。


―――― 閑話休題 ――――



それでも恋するバルセロナ』はペネロペ・クルスが素晴らしい。アルモドバルの『ボルベール(帰郷)』でも感じましたが、あんなヴィジュアルなのに下町の肝っ玉お母さんのような腰の据わり方というか足腰の強さというか。ちょうど『ボルベール(帰郷)』がヴィスコンティの『ベリッシマ』にオマージュを捧げていたように、ペネロペのそれはアンナ・マニャーニを下敷きにしているのでしょう。


スカーレット・ヨハンソンレベッカ・ホールハビエル・バルデム、ペネロペと、恋の四つ巴(だけど恋の修羅場は常に三つ巴)は、しかし互いに伝染/補完し合うことで、崩壊と再生を繰り返す。情熱的な芸術家ペネロペが「あなたは私の世界の見方を盗んだ」と同じく芸術家のバルデムに吐き捨てる痛烈な台詞が象徴的だ。スカーレットとペネロペの共闘の詳細はネタバレになるので控えますが、ついに才能を開花させたスカーレットが歩む束の間の不均衡な幸福が素晴らしい。自身の幸福論の間で揺れるレベッカ・ホールも実によい。序盤はフロイディアンのようにスカーレットの情熱を分析する彼女が徐々にその枠からハミ出していく。


初対面のバルデムの”率直な誘い”が迫るのは情熱が裏腹に抱える喪失への誘惑でもある。人生に関わる抜き差しならぬ決断というやつです。その決断の瞬間にペネロペがアドリブを混じえながら猛烈な勢いで咆哮する(スペイン語放送禁止用語連発というニュースもありましたね)。この瞬間、2ヶ国語が行き交うというところがまた粋ですね。アメリカ娘=スカーレットに気を使うバルデムは「ここでは英語で話せ」と興奮状態のペネロペに繰り返し注意する。


稀少なる”普通にいい映画”というやつですね。キュートなテーマ曲が好きだ!