『コロッサル・ユース』(ペドロ・コスタ/06’)


イメージ・フォーラムにて。アパートの窓から次々と家具を落とす冒頭。そして次のショット。廃墟然とした暗闇の中、ナイフを手にした女性がなにやらの想い出話をこちらに語りかける。まるでその鋭利な刃物を観客の喉元寸前にまで突きつけるかのような彼女の登場に戦慄し、この画面が持つ凄まじい緊張感は最後まで途切れない。


故郷喪失者であり、どこか統合不全を患っているかのような主人公ヴェントゥーラの「大家族」への執着が恐ろしい。住まいを紹介してくれる市の役員に何の根拠もなく多くの子供部屋を要求するヴェントゥーラ。思い返せば冒頭「ヴァンダ!ヴァンダ!」と何度も叫ぶその声はどこか呪文的で、何もかもを失ったはずの彼が、既に持てる者/持たざる者を超越したこの地区を彷徨う亡霊(映画研究者クリス・フジワラさんの言葉を借りると「英雄」)である、という伏線だったのかもしれない、と観賞後に思った。「英雄」という言葉は全く見事に納得できる言葉で、劇中何度も繰り返される手紙「愛しき妻へ 今度会えれば30年は幸せに暮らせるだろう」を最後の最後カメラに向かって独白するヴェントゥーラには重く鋭いまさに「英雄」の輝きがある。


また冒頭で「次々に落とされる家具」はこの作品全体を覆っていて、基本的にどの部屋にも家具がない。ヴェントゥーラは「床で寝る」とさえ言う。住まいを探しているときの真っ白い部屋(空虚であり白痴な印象を受ける)と、真夜中に誰かが尋ねてくる暗闇に包まれた部屋(不穏であり覚醒された印象を受ける)のコントラスト。


音楽。手紙の代筆をヴェントゥーラに頼む男と共に携帯型のレコードプレイヤーが鳴らす自由を唄ったレベルミュージックに感動する。またヴァンダとその娘がテレビ番組に合わせて踊る場面にも生々しい躍動を感じる。


とはいえ、まだまだ掴めきれないのでもう一度見ますッ。


余談ですがペドロ・コスタがレゲエ嫌いなのは彼がポルトガル人だからでしょうか?パンクスとレゲエといったらクラッシュやパブリック・イメージ・リミテッドを例に出すまでもなくレベルミュージックとして深く関係を持ってきたわけで、『コロッサル・ユース』ことヤング・マーブル・ジャイアンツと同時代ならスリッツやポップグループ、なによりON−Uとか、パンクスは聴かないの?と、ペドロ氏に向けた中原昌也氏の「何故にレゲエ嫌い?」という突っ込み(文学界参照)に激しく頷きました。