『ぐるりのこと』考

それが世界の縮図だったり近いミライを暗示する/提示するものとして「映画」があるならば『ぐるりのこと』はただ単に表面をなぞったようにしか見えないし安全すぎやしないだろうか。劇中にオウムやタクマが出てきてもそれは結果であって、それらを作り上げた過程=世界は全くといってよいほど描かれていない点で不誠実だと思う。据え置きにされたカメラの前で行われるコントも、殆どテレビを見ない自分でも「この人はこういう役だよねー」とすぐに分かってしまうような脇役たちも、ちょっと自分にはシンドイ。というか「いかに」においても「なにを」においても黒沢さんや青山さんがやってることに比べたら如何にもスケールが小さいし、そもそも古いと感じてしまうのです。