『スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(ティム・バートン/07’米)

人のセックスを笑うな』のあのシーンこのシーンを
頭の中で再生しては何度も涙ぐんでしまう一日でした。
あのエロさはロメール並だよな、とか思ってみたところで、
いろんな固有名詞を挙げることに意味なんかないくらいの
場所に『人のセックスを笑うな』は一人立ちしているのだと思う。
ロバの登場ですからね。たとえそれが『バルタザールどこへいく』(ロベール・ブレッソン)の
ロバであろうが、あのロバには笑うよ。感嘆や賞賛の声だけじゃなくて嫉妬の声もあがって然るべき作品なんじゃないでしょうか。『激しい季節』(ヴァレリオ・ズルリーニ)も見なきゃ。いや、というか、早くも『人セク』もう一度見直したいのだ。


閑話休題


『スウィニー・トッド』は個人的には『スリーピー・ホロウ』以来の傑作だった。


そこでティム・バートンは本当にシネフィルなのか?という疑問がまたもや浮かぶ。
本作のヘレナ・ボナム=カーターの佇まいや、『エド・ウッド』のジョニー・デップ
パントマイム的所作等見るにつけ、ティム・バートンの映画を見れば誰もが
古典を一旦は意識するのだけど、ティム・バートンがホントの本気で
古典を研究しているのかどうか、というのはかなり疑わしく感じている。
いや、シネフィルには違いなかろう。でもどこか古典とは違う贋物感があって、
その妙ないかがわしさが好きなところだったりしている。


こどもの頃夢中になって何度も見た『バットマン』(勿論バートンの)を大人になって
見直してみたら、実はあんまり大したことがなかった、という経験が自分にはあり、
見直しちゃいけない映画って確実にあるんだな、と思い知ったのですが、
勘くぐるにバートンも、こどもの頃見た映画の記憶をほとんど誤解・誤読して
画面作りをしているのではないかと勝手に仮定してみる。まぁどーでもいい話でした。


しかし容赦ない無差別殺人をするスウィニー。剃刀で喉を掻っ切るとこを
観客にきちんと直視させるのは偉い。カット割って血飛沫を予測してたよ。


野暮な物言いだけど、できれば唄のシーンは字幕読むのもほどほどに
(読まないほうがいいくらい)画と音だけをしっかり堪能したほうが
よいと思う。野暮に野暮な例えを重ねますが例えばMTVの洋楽クリップで
日本語訳が下に出ていたらすごく嫌でしょう。音の小細工が素晴らしいので、
字幕を追うことで、そこを聞き逃すのはもったいないな、と思うので。