『ベルイマン島にて』評

Bergman Island

Un Amour de Jeunesse

CINEMOREさんにミア・ハンセン=ラブ新作『ベルイマン島にて』評、「誰にも奪い去ることができない彼女の物語」を寄稿させていただきました!

 

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『グッバイ・ファーストラブ』の「最終章」としての『ベルイマン島にて』。ミアさんの位置づけに泣きます。『ベルイマン島にて』のミア・ワシコウスカに忘れられない人がいるように、自分にとっても『グッバイ・ファーストラブ』は忘れられない作品としてあり続けています。

 

ミア・ワシコウスカを撮るチャンスを逃したくなかったミア・ハンセン=ラブは、最初の夏に彼女のパートを撮影。次の夏にティム・ロスを交え、ヴィッキー・クリープスの残りのパートを撮っています。この作品は二度の夏を体験している。というところも面白いです。

 

そしてミア・ハンセン=ラブは本当に散歩を愛している人なのだなと改めて感じます。

 

以下、ミア・ハンセン=ラブの言葉をご紹介。

 

「パリのアパートに閉じこもっていた私は、フォーレ島がある種の失われた楽園に見えてきました。移動も旅行もままならず、どこもかしこも不安だらけでした。だから、あの島とあの映画は、私にとっての失われた楽園だったのです」

 

「脚本が変わることはありませんでしたが、待つ時間があったからこそできる熟成がありました」

 

「『ベルイマン島にて』を作る前から、撮影する場所で多くの時間を過ごしたいと思っていました。本当に重要な場所、映画の登場人物がいる場所です。私にとってロケーションは単なる場所ではなく、常に何らかの形で取り憑かれているような存在なのです。ロケーションはいつも私を悩ませてきました。私はいつも、その場所の光を感じながら、同時に人間の存在を感じながら、その場所を撮影することに関心を持ってきました。彼らに魂を持ってほしかったのです。そうすることで、正しい距離、正しいカメラの位置、正しいリズムを見つけることができます。私が知っている唯一の方法は、その場所を実際に歩き、あらゆる方法で、その場所を熟知していると感じることができるまで歩くことなのです」

 

「『あの夏の子供たち』を撮ったとき、ポスターやフィルムの箱、ノートを撮り始めました。目に見えないもの、物質と魂の結びつきを伝える方法として、モノをどう撮るかということに、とても興味を持ちました。それ以来、モノを撮影し、その意味を映画に反映させることに、とても興味をもっています」

 

「台詞を彼らのものにしたかったんです。これほどまでに俳優たちに自由に喋ってもらったことはありません」

 

「ヴィッキーはよりヨーロッパ的で、メランコリックなところがあり、私に近いキャラクターだと思います」

 

ミア・ワシコウスカはまったく別の話です。彼女は最初からそこにいた。なぜなら、ミアはどこか無邪気で、私にとって彼女は若さと結びついていて、永遠のティーンエイジャーのようなものだからです」

 

 

劇中に出てくるトニー(ティム・ロス)の撮った映画がなんとも魅力的で、そのことについても興味深い言及がありました。

 

「ドゥニ・ルノワールオリヴィエ・アサイヤスの映画でカメラを務めていました。だから、あの映画(劇中映画)を作ったとき、オリヴィエが90年代に撮ったようなシーンを撮ったのです」

 

Vicky Krieps in Bergman Island

 

以下、ヴィッキー・クリープスの言葉。彼女にとっても『ベルイマン島にて』は、自分を再発見するための作品だった。

 

ポール・トーマス・アンダーソンと一緒にクレイジーなハリウッド映画(『ファントム・スレッド』)を作ったのに、それが終わった途端、寂しくなってしまいました。置き去りにしてきた素晴らしいラブストーリーのようなものでした。この後、私は自分自身を再び見つけなければならなかったのです」

 

ルクセンブルグの小さな町のどこかで、自分がいつか映画俳優になるとは思っていなかった私は、ミア・ハンセン=ラブの映画に感銘を受けました。彼女の二作目「あの夏の子供たち」だったと思います。私はただの観客でしたが、映画の内容だけでなく、生まれて初めて「演出」を理解することができ、とても感動したのを覚えています。隣にいた友人に、"監督の背後や方向性が見える気がする "と言ったのを覚えています」

 

Mia Wasikowska in Bergman Island

 

以下、ミア・ワシコウスカの言葉。確かに『ベルイマン島にて』の自転車移動はとても魅力的です。

 

「この島はどこに行くにも30分しかかからないので、ロケ地の間を自転車で移動する自由を与えてくれました」

 

「ミア(ハンセン=ラブ)が本当に素晴らしいのは、極めて具体的でありながら、非常に感情的で直感的である点です」

 

ベルイマン映画のマニアであれば、もっといろいろなことを感じられるでしょうし、彼を知らなくても、この映画をそのまま楽しめると思います。しかし、私がミアの映画を気に入ったのは、彼女がベルイマンの映画を作ろうとしていない点です。むしろロメールのような映画です」

 

「女性監督とはあまり仕事をしたことがなかったのですが、ミアとはまるで友人と仕事をしているような感じで、本当に素晴らしかったです。彼女はとても穏やかでリラックスした雰囲気を持っていて、物事を成し遂げるために撮影現場で暴君である必要はないのだと再確認することができました」

 

参考に見た『グッバイ!ベルイマン』というドキュメンタリーがとても興味深かったです。ウェス・アンダーソン北野武が同じ映画に出演しているという珍しい作品。スコセッシ、ハネケ、イニャリトゥ、トリアー、クレール・ドゥニ等々、錚々たるメンツ。ベルイマンの家に滞在中、霊感を感じたのか急にパニックに陥るクレール・ドゥニが、なんだか凄いです。

 

また『Bergman Island』という同名のドキュメンタリーもあります。こちらは生前のイングマール・ベルイマンフォーレ島でキャリアを振り返る貴重な映像。偉大な映画作家ヴィクトル・シェストレムとの出会いを自演するベルイマンも素晴らしいです。きちんと記録しておいたことに、ありがたさを感じます。

 

ちなみにミア・ハンセン=ラブが好きなベルイマン映画は『愛のさすらい』だそうです。必ずしもベルイマンの最良の作品とは言えないという留保付きながら、エリック・ロメールの『緑の光線』と共にミアさんの中で大切な映画なのだそうです。実際、フィジカルな官能性を感じる作品だと思います。

 

ベルイマン島にて』は絶賛公開中!!!

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『デュエル』評

Duelle

CINEMOREさんにジャック・リヴェット『デュエル』評「ジャック・リヴェットによる俳優主義!」を寄稿させていただきました!

 

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『デュエル』と『ノロワ』、『メリー・ゴー・ラウンド』がまさかの公開という、こんな素敵な機会は絶対に逃したくなかった案件です。媒体で堂々と書けるような機会もなかなか巡ってこないと思うので。本当にありがとうございます!

 

若干21歳のジャック・リヴェットが書いた「The Act and The Actor」という文章に、とても感銘を受けました。この文章自体がレオス・カラックス『アネット』への最も美しい批評として機能していると思います。

 

数年前、『狂気の愛』上映の舞台挨拶(対談が中原昌也さん)でビュル・オジエ様がサングラスをとった瞬間の衝撃的なカッコよさは、いまだに脳裏に焼き付いています。あのときのリヴェット特集(現アンスティチュ)は、自分が一番映画館に通っていた時期と重なるので、特別な思い入れがあります。無字幕とか同時通訳の上映だったけど、全作品通いました。そしてジュリエット・ベルト主義になることを誓った、記念すべき特集でもありました。

 

以下、リヴェットの「The Act and The Actor」をランダムに抜粋します。

 

 

「人の演技を見るということは、自分もその演技を心の中で真似るということである」

 

「観客が俳優を同一視する仕組みは、心理的というより動的なものである」

 

話し言葉は身振りと同じ程度に行為であり,身振りと同様に画面への貢献の対象となる」

 

「人間の不動もまた、運動の一瞬であり行為である」

 

「すべての映画は、俳優についてのドキュメンタリーである」

 

「俳優を追うカメラの動きから、俳優を映し出す装飾に至るまで、すべてが俳優に到達するための方法でなければならない」

 

「俳優を映画のいくつかの、あるいは多くの構成要素に従わせるのではなく、すべてが俳優によって秩序づけられなければならない」

 

「野獣とはどのようなものであろうか?という一つの問いを提起する」

 

「彼女がすべてを代表する。宇宙の中で一人で君臨している。一人ぼっちで動かない」

 

 

次に、まるで『デュエル』のことを言っているようなリヴェットの美しい言葉。

 

 

「恐怖と震えをもってしか近づけないものがある」

 

 

以下、ビュル・オジエがリヴェットについて語った言葉。

 

 

「リヴェットに初めて会ったのは、彼が『修道女』という映画を撮るときでした。アンナ・カリーナが演じた修道女役のオーディションを受けろということで、私を呼び出したのです」

 

「リヴェットは、ジャン=ピエール・カルフォンやその他の劇団員にコンタクトを取っていました。彼はずっと私たちを見ていたんです。パリの知識人がたくさん来ていて、著名な映画監督も何人か来ていましたし、作家のジャン・ジュネも来ていました。とはいえ、私たちは全く知りませんでした。ただ仕事をしていただけで、それが何なのか、当時はあまり意識していませんでした。いわば流行というか、好奇心の対象だったのです。当時のフランスでは演劇に興味のある人たちが「見なければならない」ものだったのです。誰もやっていないことをやっていたのです。リヴェットは私たちの最も忠実な信奉者の一人でした」

 

「リヴェットは、俳優が自分自身のキャラクターを作り上げ、服装や髪型を自分で選び、好きな場所で行動する機会を与えてくれます。本当に素晴らしい人です」

 

「ジュリエット・ベルトはとても美しく、他の誰からもこんなに美しく撮られたことはなかったと思います。ゴダールの『中国女』でも、彼女はここまで美しいわけではありません。リヴェットのジュリエットを引き立たせる方法は本当に素晴らしかったです」

 

 

奇跡のジャック・リヴェット映画祭は、いよいよ最終週!

jacquesrivette2022.jp