『デュエル』評
CINEMOREさんにジャック・リヴェット『デュエル』評「ジャック・リヴェットによる俳優主義!」を寄稿させていただきました!
『デュエル』と『ノロワ』、『メリー・ゴー・ラウンド』がまさかの公開という、こんな素敵な機会は絶対に逃したくなかった案件です。媒体で堂々と書けるような機会もなかなか巡ってこないと思うので。本当にありがとうございます!
若干21歳のジャック・リヴェットが書いた「The Act and The Actor」という文章に、とても感銘を受けました。この文章自体がレオス・カラックス『アネット』への最も美しい批評として機能していると思います。
数年前、『狂気の愛』上映の舞台挨拶(対談が中原昌也さん)でビュル・オジエ様がサングラスをとった瞬間の衝撃的なカッコよさは、いまだに脳裏に焼き付いています。あのときのリヴェット特集(現アンスティチュ)は、自分が一番映画館に通っていた時期と重なるので、特別な思い入れがあります。無字幕とか同時通訳の上映だったけど、全作品通いました。そしてジュリエット・ベルト主義になることを誓った、記念すべき特集でもありました。
以下、リヴェットの「The Act and The Actor」をランダムに抜粋します。
「人の演技を見るということは、自分もその演技を心の中で真似るということである」
「観客が俳優を同一視する仕組みは、心理的というより動的なものである」
「話し言葉は身振りと同じ程度に行為であり,身振りと同様に画面への貢献の対象となる」
「人間の不動もまた、運動の一瞬であり行為である」
「すべての映画は、俳優についてのドキュメンタリーである」
「俳優を追うカメラの動きから、俳優を映し出す装飾に至るまで、すべてが俳優に到達するための方法でなければならない」
「俳優を映画のいくつかの、あるいは多くの構成要素に従わせるのではなく、すべてが俳優によって秩序づけられなければならない」
「野獣とはどのようなものであろうか?という一つの問いを提起する」
「彼女がすべてを代表する。宇宙の中で一人で君臨している。一人ぼっちで動かない」
次に、まるで『デュエル』のことを言っているようなリヴェットの美しい言葉。
「恐怖と震えをもってしか近づけないものがある」
以下、ビュル・オジエがリヴェットについて語った言葉。
「リヴェットに初めて会ったのは、彼が『修道女』という映画を撮るときでした。アンナ・カリーナが演じた修道女役のオーディションを受けろということで、私を呼び出したのです」
「リヴェットは、ジャン=ピエール・カルフォンやその他の劇団員にコンタクトを取っていました。彼はずっと私たちを見ていたんです。パリの知識人がたくさん来ていて、著名な映画監督も何人か来ていましたし、作家のジャン・ジュネも来ていました。とはいえ、私たちは全く知りませんでした。ただ仕事をしていただけで、それが何なのか、当時はあまり意識していませんでした。いわば流行というか、好奇心の対象だったのです。当時のフランスでは演劇に興味のある人たちが「見なければならない」ものだったのです。誰もやっていないことをやっていたのです。リヴェットは私たちの最も忠実な信奉者の一人でした」
「リヴェットは、俳優が自分自身のキャラクターを作り上げ、服装や髪型を自分で選び、好きな場所で行動する機会を与えてくれます。本当に素晴らしい人です」
「ジュリエット・ベルトはとても美しく、他の誰からもこんなに美しく撮られたことはなかったと思います。ゴダールの『中国女』でも、彼女はここまで美しいわけではありません。リヴェットのジュリエットを引き立たせる方法は本当に素晴らしかったです」
奇跡のジャック・リヴェット映画祭は、いよいよ最終週!