『Film Socialisme』(ジャン=リュック・ゴダール/2010)


カンヌお披露目と同日にフランス「FilmoTV」有料限定配信で体験することができたゴダールの新作『Film Socialisme』について、ゴダールのボイコット事件を挿んだこの段階で何かを語るのに、やや複雑な思いはある。ここはゴダールに倣ってその沈黙の意志、闘いの意志、抵抗の意志をこっそり内に秘めるべきなのかもしれない。21世紀の映画と形容するより、更にもう半歩先を孤独に走っている本作は、複数の映像と音響の衝突が絶えず異変を起こし続けるソニマージュの脅威的な跳躍だ。すべては関係性の中から生まれる。地中海をゆく船舶の乗客=”普通の人々”がノアの箱舟に乗りこんだ難民、21世紀の難民(それは私たちのことだ)にしか見えないように。対象との関係性は映像と音響の関係性の中でいくらでも生成される、言葉を変えれば、生成できてしまう。世界の過去と現在をフラットな表象を基盤として構築することは可能だろうか?悲劇の歴史を超越したフラットな世界への過程を描くことは?100人のコドモたちによる革命とは?ゴダールは世界への「問い」を挑発的な孤独と共に、尚一層過激に進めているように思う。



デジタル特有の質感を意図的に粗く残した映像と音響は、ときにブーストさえ起こす。ワンフレームの中で一つの音は異変を繰り返す。恐らく位置を変え別のマイクから収音された複数の”同じ音”(単にデジベルやエフェクトの変化かもしれない。いずれにせよ其れらは”同じ音”であって”同じ音”ではない)がカットアウトで次々に繋がれ、それら複数の音の断片は、対象と新たな関係を結ぶ。冒頭のカモメのような鳴き声が、次第に(又は突如)人間の笑い声だと判別できるように、音と対象の間には変異が生じる。固定カメラ、ワンショットの内に二人の台詞の音響的な響き方が全く別物になっているシーンまである。音響による人物の切り返しショット。このような前衛的な音響設計のせいだろうか、見る度に音が違って聞こえる。再生/上映する度に、その場でゴダールがDJ/VJをしているかのような、生々しいライブ感がある。思わずブリコラージュという言葉を思い出す。ゴダールは原始的、身体的な素材を集めて対象を次々と変化させていく。ワンショットだけ、CDJのスクラッチ音が聞こえるのがタマラナイじゃないか。パティ・スミスの弾くギターは人々の注視を受けない。ダンスフロアは爆音でブーストする。若返るどころか、本編に登場する2人の少年のように8歳くらいに退行したかのようなゴダールのユーモア、挑発。



クォ・ヴァディス(何処へいく?)、ヨーロッパ」



葬り去れたかつての/現在の闘争の跡。葬り去れた敗者。タイピング(文字)の音やシャッター(撮影)の音のマバタキのような一瞬の狭間に、彼ら彼女らは微笑みの残像を残した。闘争の微笑みは忘れがたい悲劇と共に記憶の底に刻まれる/忘れられる。未来を担うコドモたちの遺伝子の中に。人類(Humanité)の遺伝子の中に。美しい首飾りの少女(絵画の中の目隠しされた少女とイメージが重なる)の行方は、名前を叫ぶ声と声の間、音と音の間に生まれる発明だけが知っている。彼女は/映像は/闘争は確実に存在したのだ。


一刻も早い日本での公開が待たれます。


追記*一番下の画像はとりわけ好きなシーン(携帯のカメラで撮影)。風を舞う舞踏のような少女。もうひとつだけ好きなシーンを敢えて挙げるとしたら階段の悲劇のモンタージュですね。


追記2*『Film Socialisme』は劇場で体験することとDVDやWEB(後者2つは公的にお金を支払うことも含め少なくとも本作に限っては質の差がないと言い切ってよいのではないかと思います)で体験することの違いがどちらが良いとかではないところで面白いと思う。デジタルの質感が思いがけず同調することがあるのだよ。あとこうゆう犯罪的な(いや公式なんだけど)世界のネットワークへ向かう経路が”テロリスト”な内容と重なって楽しかった。『Film Socialisme』はヨーロッパの話だけど世界を描いているから。世界同時というところが素晴らしい。そして一刻も早く劇場で体験したいと思った。


追記3*ジャン=マルク・ラランヌのインタビュー(英訳)がかなり面白かったです。
http://bit.ly/9dJEgd


追記4*『Film Socialisme』は『Notre Musique(アワーミュージック)』以上に”Notre Musique”という言葉がふさわしい。


追記5*今回の配信に間に合わなかった方に説明すると、「FilmoTV」サイトで見れるストリーミング(こっちは基本的に動作が重かったです。ストリーミング開始直後は特に)とは別に、期間限定のファイルをダウンロードしてPC内のアプリケーションを使って快適に見れるという方法でした。だからPCでDVD見るのと何ら変わらない体験ができたわけです。2日間の間なら何度でも再生できました。勿論何度も見ましたよ!