『フィッシュマンズ』

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立川シネマシティ極音上映で、『フィッシュマンズ』。

 

佐藤伸治が亡くなった日のことを、よく覚えている。スペースシャワーTVで字幕速報で流れてきて、その日は一日中「ゆらめき In The Air」のPVが流れていた。

 

「ゆらめき In The Air」を新宿タワレコの試聴機で聴いたときのことも、よく覚えている。凄いなと思うのと同時に、佐藤伸治のことがすごく心配になったのを。佐藤伸治が亡くなる三か月前のことだ。

 

フィッシュマンズの音楽は、そのときの瞬間、瞬間の景色と分かちがたく結びついていて、年月を経たいまも、そのときの気持ちや時代の空気、目の前にあった風景がパッとよみがえってくる。

 

映画の中で、下北沢の路上に座り込む佐藤伸治は、頼りない天使であり野良猫のようだった。あの頃、自分も世田谷に住んでいて、同じ景色を見て、同じ空気を吸っていたのだなあ、、。

 

フィッシュマンズの音楽ではなく、フィッシュマンズの音楽を好きな自分を批判的に見る必要があった。完全に依存していたのだ。

 

後年、菊地成孔さんに珈琲を奢ってもらう機会があって、そのとき「フィッシュマンズを好きだった人たちは一体どこへ行ってしまったのだろう?」という話題になった。

 

菊地さんがフィッシュマンズを初めて知ったのは朝の天気予報でPVが流れていたときのことだと言っていた。「清志郎の新曲、バックトラックかっけーな」と思ったら、フィッシュマンズというバンドで、佐藤伸治を一目見て「うわ、カリスマだ」と思ったのだという。佐藤伸治の恋人でもあったマリマリと仕事をしていた菊地さんは、「あんな可愛い子を残して罪なやつだよ」とも言っていた。

 

そこで交わした会話の詳細はともかく、フィッシュマンズを好きな人の持つ弱さや依存、その宗教性について、フィッシュマンズを高く評価しつつ(特にライブの素晴らしさ)話してくれたのを思い出す。痛いけどよく分かる内容だった。「こっち来んな!笑」って言われたけど(笑)。

 

映画では、崩壊していくバンドの証言まで、きっちり描かれている。思っていたとおりではあるのだけど、茂木さんがファンクラブの会報に書かれた佐藤伸治の言葉に、このままいなくなってしまうのではないかと危機を感じたと証言するシーンは辛い。すごく言葉を選んで話しているけど。でも茂木さんほど近くにいてもそうだったのか、、、と。「ゆらめき~」の楽曲から感じる佐藤伸治の孤立や、バンドのデッドエンド感は、音像そのままの世界だったのだなと。

 

とはいえ、ほとんど封印状態にしていたフィッシュマンズと、こうやって再会できたのは嬉しかった。ワイキキ・ビーチ・スタジオという実験工房。そこで繰り広げられていた実験の数々。あんなのほとんど奇跡じゃないか。くたばる前にそっと消えたいねと歌った天才音楽家の肖像。今日は延々とフィッシュマンズを聴くことにした。