『沈黙の世界で猫が泣く』への批評文


作品を公開してからのこの一週間、バタバタと、得がたい経験をさせてもらいました。いくつか批評・感想をいただいたことの嬉しさ。リツイートされることが、こんなに嬉しいことだったなんて!、まったく知らなかったことです。思わず、みんな、愛してる!って言いたくなるところだよ(笑)。めちゃくちゃありがたいです。いつも感想を言う側にいるからか、今回は本当に得がたい体験をさせてもらっています。毎日が楽しい。本当は全ての感想の全文をアップさせていただきたいところです。自分で語れる範囲の外にある言葉で指摘される喜び、具体的な指摘(ダメ出し含む)、すべてが心から嬉しいです。とてもありがたいことに、この作品に関して共通して言ってくれることは、キャストの「顔」が皆いいという感想です。なんかそれだけで撮ってよかった、発表してよかった、という気持ちになります。主演してくれた女の子の言ってくれた言葉を一生忘れることはありません。演出の技術的に至らないところは、撮影当時の自分の限界です。でもそこを含めて振り返ることができる。それは実作どうこうの話では収まりません。感想を書いてくれた(言ってくれた)方のことは、10年前はまったく知らなかったわけで。その10年間の重みを強く感じているし、いまのことは後でまた振り返ればいい。今年のテーマは「きちんと振り返ること」なので、ちょっと動き出した感じすら受けています。「無駄なことなんて一つもない!」は10代の頃から自分に言い聞かせるように思っていることですが、いまそれを直に肌で感じているところです。LOAD SHOWにアップされたときは60%ぐらいの本気度で「見ないでください(笑)」と言ってましたが、考えが変わりました。


映画同人誌「DVU」の中山洋孝さんからいただいた批評文を転載させていただきます。この映画に関して初めて受け取った批評なので、涙が出るほど嬉しかったです。中山さん、紹介許可の快諾ありがとうございました!

沈黙の世界で猫が泣く』を見た。俳優たちの顔が、佇まいがどれもいい。初めて見るわけではない佐藤佐吉さえ、この映画では愛おしい。
肝心なところが撮られなかったのではないかとも思う。特に猫は段ボールのなかのアップしか出てこないし、本当に猫にあんなことしたら助かるわけないのだから、仕方ないけれど、三宅さんが『スパイの舌』でマネキン落とした冴え方に比べると、そういうところ全く人のこと言えないけど自主映画らしいなあと思ってしまった(ごめんなさい)……。やはり「落下」は映画の肝でありつづけるのか。
しかし「自主映画」を見るときに味わえる幸福感がここにはある。少なくとも「波はどこにでもある」ということより、こうした映画がどこかにいるからこそ、人は映画に狂うのだ、映画は死なないのだ(もしくはゾンビや亡霊になった)ということが証明されている。作り手がどんな映画を愛し、狂ったかがわかる。あの廃棄されたバスに熱をあげたのも伝わってくる。
彼らの取っ組み合いが思いのほか長く続く時、回転椅子を使って猫の鳴き真似をする時、兄が自転車で延々回り続ける時、兄の恋人が「本当にかわいいー!」と言う時、りんごの皮をむくためのナイフを手にした時、ヒロインの背景に漫画の原画が並んでいる時、ワインの栓を抜く時、歌う時、こうやって友人を、仲間たちを撮るために一度でも映画をやってればよかったと、人に嫉妬や後悔をさせるような、まさに青春の映画だと思う。映画の真似だけしていれば撮れるものではない。猫はほとんど映っていなかったが、ここでは猫が鳴くのではなく、泣いている。
僕も見ながら「本当にかわいいー!」と兄の恋人のように何度も言いたくなった。


http://loadshow.jp/film/40