『ドニ・ラヴァンの肖像 魔術的な身体』(2009)

日本には伝わってこないドニ・ラヴァンの活動に関するドキュメンタリーが制作されていた、ということで早速見てみたところ、これがとても面白かった。このドキュメンタリーはレオス・カラックスとのアレックス3部作をドニ・ラヴァンが語るシーンからスタートする。ここで早速『ボーイ・ミーツ・ガール』のカメラテストのシーンというレアすぎる(!)映像が挿入された時点で既に泣きそうになってしまった。ドニ・ラヴァンがヘッドフォンのスウィートなポップミュージック越しにミレーユ・ペリエを幻視した、『ボーイ・ミーツ・ガール』のあの素晴らしいシーンの「プレ状態」が、このカメラテストだ。撮影前ということは、このカメラの後ろにいる当時21歳か22歳のカラックスは、ドニ・ラヴァンにヘッドフォンをさせ8分以上もの間、延々と一人芝居をさせる(注*これは別の映像で見た)という鬼のようなことをする。おそらくこのカメラテストは”アレックス”の魂を内へ内へと血肉化させるプロセスなのではないかと推測できる。つまりこのカメラテストの時点でアレックス=カラックスの魂はドニ・ラヴァンに刷り込まれたと言っていいのではないだろうか。以後、この二人は『メルド』の撮影まで一緒にご飯を食べたことがなかった、という恐るべき告白が俄かには信じられないほど(と同時にカラックスらしいとも思えるのだが)、言葉を必要としない共犯関係を結ぶことになる。『汚れた血』のデヴィッド・ボウイが流れる”疾走する愛”と『ポンヌフの恋人』の海岸をジュリエット・ビノシュと駆け抜けるショットが「身体」のイメージとして編集される。


アレックス3部作からクレール・ドゥニの『美しき仕事』までの映像作品における身体=ダンスの章を経て、ここから先の「空白」(『ツバル』のような映画を除いて日本にはあまり情報が入ってこなかった)が、私たちにとってのドニ・ラヴァンの知られざる肖像だ。ここでは舞台役者、そして時空を操るパフォーマーとしてニジンスキーを語るドニ・ラヴァンの仕事の数々が紹介されるわけだけど、そのどれもがアジテーションかましているかのような迫力と、暗黒舞踏のような奇想に彩られたパフォーマンスなのだ。以前、自身が出演するセリーヌ原作の舞台公演についてテレビでトークするドニ・ラヴァンの、あまりの型破りぶり(共演者が恐怖のあまり苦笑いするしかない、というリアクションをとっている。この映像はYoutubeで確認できる)に驚いたのだが、ここでの映像を経てよく分かるのは、このドキュメンタリーの主題どうり、ドニ・ラヴァンの魔術的な身体であり、そのあまりの予測のつかなさぶりは、ドニ・ラヴァンが稀代のパフォーマー=アーティストであることを証明するに十分であり、レオス・カラックスの作品が、ドニ・ラヴァンというアーティスト対アーティストの衝突によって生まれているということの証左にもなっている、ということだ。あらためて『ミスター・ロンリー』でハーモニー・コリンドニ・ラヴァンチャップリンの役を与えたことの慧眼ぶりに、唸らざるをえない。