『アルバート・ノッブス』(ロドリゴ・ガルシア/2011)


東京国際映画祭6日目。『アルバート・ノッブス』は正直ミア・ワシコウスカで個人的な今年のTIFFを締めることのみが目的だったのだけど、これが当たりだった。年末に公開が決まっている『永遠の僕たち』(ガス・ヴァン・サント)を今回の上映では見送ったので、ミア・ワシコウスカがどれほど突き抜けているのか楽しみなのだけど、同じく主演作『ジェーン・エア』(ケリー・フクナガ)の公開を待ちきれず、輸入DVDでフライングしてしまった身としては、「ミア・ワシコウスカという映画の進め方」が確かにある、ということを本作で改めて思い知った。『アルバート・ノッブス』にはミア・ワシコウスカにしか出来ない演技、細かなリアクションの表情があって、おそらくこのショットはロドリゴ・ガルシアによる演出の賜物ではなく、グレン・クローズへのリアクション演技として偶然にカメラが捉えてしまったものだと思われる。さて、放っておくとミア・ワシコウスカのことばかり語ってしまいそうだが、『アルバート・ノッブス』は随所に知的な仕掛けが施された良作だ。あらかじめキャストでネタバレしているアイディアも含め、スクリューボール・コメディのような題材(性倒錯)を、ヨーロピアンのゆったりとしたテンポで、文芸作品のような品を保ちながら、おおらかに描いている。そして風にそよぐような爽やかな後味とは裏腹に、『アルバート・ノッブス』は輪廻による宿命を断つ、という意味で、女性による過酷な抵抗を描いている。きわめて懐の深い作品なのだ。



あまり書くとネタバレになってしまうので注意するが、『アルバート・ノッブス』で描かれる宿命という悪循環への女性の抵抗を描く仕掛けは、グレン・クローズの男装と同じくらい鮮やかに処理される。男装のグレン・クローズが仮装パーティーに出席する、という二重、三重に倒錯される「仮装」は、人は誰もがみな仮装しながら生きているということへの切り返しを、「残酷に暴く」といった演出の手捌きとはまったく無縁に、まるで当たり前に通り過ぎていく風のように、それとなく描く。こういったさらりとした伏線の積み重ね自体が、やがてグレン・クローズからミア・ワシコウスカというもう一人の女性の物語に、いつの間にか継承される。ここにいまをときめくミア・ワシコウスカのアクション/リアクションという映画を動かす/物語から少しだけ逸脱させる決定的なスパイスが加わることで、『アルバート・ノッブス』は伏線のよく練られた物語という、ときにやや窮屈な枠組みからも開放される。映画の知性と映画の本能のバランスがとてもいいのだろう。グレン・クローズが助走的に初めて能動的に起こす接触のアクションを受けたミア・ワシコウスカが、どんなリアクションをするか。様々な含意を誘発させるあの絶妙すぎる表情を、是非スクリーンで確かめてほしい。思わずスクリーンに瞳を吸い込まれてしまうところだったよ。「ミア・ワシコウスカという映画の動かし方」に!


アルバート・ノッブス』をもって私の今年のTIFF通いは閉幕しました。今年は計9本でしたね。公開の決まってる『PINA』『クレイジー・ホース』『永遠の僕たち』などは今回見送りました。一般公開を楽しみに待ちます。楽しみが増えることはいいことです。そして締めがミア・ワシコウスカでよかったよ。『アルバート・ノッブス』は10月29日に上映があります。前売り券は完売(or販売期間終了)ですが当日券なら若干あるかと。
http://2011.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=1



追記*調子に乗ってミア・ワシコウスカのカッコいい画像も貼ってしまいます。美しい!ミア・ワシコウスカジム・ジャームッシュの新作(ヴァンパイア映画)にティルダ・スウィントンらと共にキャスティングされています。共演がティルダ・スウィントン、というところが面白い。『ジェーン・エア』にその胎芽を感じた。あと『アルバート・ノッブス』のポスター(上記)は映画を見た後、とても秀逸だと思った。