『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア/2009)


第4回爆音映画祭にて『ローラーガールズ・ダイアリー』。劇場に入ると早速ラモーンズのアルバムがかかってて、この日を楽しみにしてきた身としては、いきなり感極まるわけだけど、この日最高だったのは、多幸感に泣きっ面で劇場を出ると、2人組みのキュートな女の子が、エレン・ペイジドリュー・バリモアの真似して踊ってたことなんだよ。普段街を歩いてて、あるいはショップの中で、グッドメロディーが流れてきたときや、踊らずにはいられないリズムに不意打ちされたときって、自制心を取っ払って、そのメロディーやリズムに身を任せてしまうでしょう。そうさせてしまう力がこの映画には全編に漲っていて、だから、二人組みの女の子が踊りだすのを見た途端、THIS IS IT!、いま必要なのはまさしくこれなんだ!と思ったんだ。で、今回再見してみて、『ローラーガールズ・ダイアリー』という映画は、ポップミュージックの最も感動的な響きであり、同時に最も無意味な響きに沿って作られているのだな、と確信した。



シーナ・イズ・ア・パンクロッカー。ビートルズの「She Loves You」におけるYeahYeahYeahのフレーズを例に出すまでもなく、ポップミュージックの感動はなんの意味のない輝かしい響きに託されることが、まま多い。たとえば劇中に流れるラモーンズの「シーナ・イズ・ア・パンクロッカー」には♪パンッパンッパンクロッカー♪の無意味に繰り返されるパンッパンッの部分にこそ、その魔法が宿っている。意味のない美しい響き。たとえば個人的に『ローラーガールズ・ダイアリー』の一番好きなシーン、恋人たちが空を仰いで歌いながら合いの手のように手を叩くシーン(画像参照)。このシーンに限らず、恋人たちが触れ合うすべてのシーンは、単体では何の意味もなさないバカバカしい、ゆえに最高の瞬間=響きばかりが切り取られていて、それはドリュー・バリモアのドツキや、エレン・ペイジのダンス、そしてパイ投げ合戦に至るまで、この作品の基調になっている。街を歩いていて、思わずリズムに身を任せたくなるような、そんな意味のない美しい響きを何より重視するのが、ドリュー・バリモア演出の基調なのだろう。だからコーチの「平凡さを盛大に祝おう!」という台詞には今回思いっきり泣かされてしまった。この響きは意味もなく美しいだけではなく、極めて野蛮な響きなのだ。この演出を、セリーヌボリス・ヴィアンに出会ったような言葉で言うならば、はじめに感動ありき!…いや!はじめにリズムありきだ!


親を騙して初めにパーティー会場に行くシーンでエレン・ペイジがランドン・ピッグ(恋人役。なんとも絶妙なイケメン!)と出会った次の瞬間に会場の照明がスポーッンと消える、ワンショットで空気を変えてしまう見事な演出。一番最初にローラーガールズたちがショップの中を滑る登場の仕方にしても、ドリュー・バリモアが演出する空気の転換のハマり具合には何度だって唸らされてしまう。あと最近見た映画と繋げると、人と人がハイタッチ、グータッチすると、不思議なもので映画にはリズムが生まれるんだよね(イオセリアーニとかロマン・グーピルとか)。とはいえ『ローラーガールズ・ダイアリー』の場合はタッチ、というよりドツキ合いに近いのだけど。初見時は思いっきりエレン・ペイジ寄りで見たけど、今回は両親の台詞が泣けたな。「娘が幸せになろうとしてるのに邪魔することなんかできるか!」という父親の台詞や「最愛の娘にダメ親なんて言われたら…」という母親の台詞。ローラーゲーム(バトル)に夢中になって、それが何の意味があるの?と、問われたエレン・ペイジの「そういう問題じゃない」という返し。言葉よりもメロディーやリズムが教えてくれる感動を愛する小さな女の子。めまぐるしいドツキ合いの喧騒の果てにラストショットで照れたように歌うエレン・ペイジは、本当に天使のようだった。繰り返しますよ。本当に天使のようだった!


追記*『ローラーガールズ・ダイアリー』は爆音が基本でいいんじゃないかな?帰りはずっとサントラを聴いて帰りましたよ。思わず踊ってしまった二人組みの女の子に乾杯!本当に行ってよかったよ。特別な一本。以下、初見時の感想↓
http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20100525

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