「シャブロル映画の女たち」@アテネフランセ


6月〜7月にかけフランス映画祭2011及び、日仏学院で特集上映が予定されているクロード・シャブロルに関する『不完全さの醍醐味』の翻訳者、大久保清朗氏(id:SomeCameRunning)の講演をアテネフランセアナクロニズムの会で。今回の講演のテーマが冒頭で「海、川、水」と発表されたとき、真っ先に浮かんだのは長編映画遺作となった『刑事ベラミー』の海だった。あの海と空と地平線に向けられた美しいパンニング・ショットのことだ。これは打ち上げの席でご本人にも確認したことなのだけど、大久保氏は『刑事ベラミー』のあのショットを見て走馬灯のようにシャブロル映画の海の記憶が駆け巡ったのだそうだ。これは今回の講演のタイトルが「シャブロル映画の女たち」ということを踏まえると尚更面白い。「海、水、川」はすべてフランス語で女性名詞に当たるのだ。シャブロル映画の持つ人の無意識の悪意に震えたことがある者なら、この事実に思わず怖いと震え上がってしまうだろう。20本近くにも及ぶ日本未公開映画の贅沢な抜粋(紹介の役割を兼ねていた)を織り交ぜながら、大久保氏の語りはあくまでフラットにテーマと並走する。紹介された膨大な映像資料の抜粋については氏のブログを参照(http://d.hatena.ne.jp/SomeCameRunning/20110520)。以下、私の解釈が多分に織り交ざっていることを断った上で講演の内容を紹介する。


『刑事ベラミー』と共に最初に頭に浮かんだのは、とりわけ好きな『一寸先は闇』のラストショットのことだった。ステファーヌ・オードランが佇む、浜辺の寒々とした光景。アントニオーニ的な愛の不毛、虚無が曇天の浜辺に暴かれるあの恐ろしい光景。シャブロルにおいて海は不吉な予感としてまずある。抜粋された『血の婚礼』、『石の微笑』の湖、海のシーンは、俳優のフレームアウトによって、その不吉な予兆を生む。私の解釈ではシャブロル映画のフレームアウトはまず不吉な調子の問題として、次に調子の狂った曖昧な意識へと人を誘う、極めてアブストラクトな無人ショットに思える。このような狂った調子の海は、たとえば抜粋された『虎は新鮮な肉を好む』における意味不明(本当に説明がつかない)な屋敷の浸水と殺人、『コリントへの道』の馬鹿馬鹿しくもチャーミングな落下にも表れていると思う(ところでこの二つの抜粋には笑った。シャブロルの狂った調子には笑いだって含まれるわけだ)。『誇りの馬』の超常現象の湖、『境界線』の抵抗の川にいたるまで、シャブロル映画における水の風景は本当に様々な解釈の可能性を担っている。


さらに大久保氏は飲料としての水に注目する。今回の講演でミステリー好きの大久保氏ならではだなと感じたのは、この展開のときだった。『女鹿』のステファーヌ・オードランジャクリーヌ・ササールが浴室で語らうシーンで、オードランが差し出したコーヒーの砂糖の個数を当ててしまうというアイディアに大久保氏は何度見ても震撼してしまうのだそうだ。水といえば、ジャクリーヌ・ササールが浴槽に浸かった足を独特の調子で波打ちさせることばかりに注目していたのだけど、ここでコーヒーとくるか、と。これら「服毒」のテーマとしての水が最高の到達点を迎えるのが『ヴィオレット・ノジエール』だ。今回、抜粋映像を見ながら、計画実行直後のヴィオレットの吐き気が、個人的に強烈な印象を残したことを記しておきたい。ここから水が「液体/形のないもの」として再定義され、『アリスまたは最後の家出』のゴム状の画面設計へと結びつける展開に唸る。この項「狂気と錯乱」で紹介された『魔術師』のズームを織り交ぜたパンニング撮影に感銘を受けた(『魔術師』、唯一DVDを所有してないんです)。ド迫力。たとえば『ナーダ』における、後半、急激に無駄にスペクタクルになっていく、あの展開を想起させもする。あるいは『悪意の眼』の唐突な空撮でもよいのだけど。


さて、これは講演後に配布されたプリントを読んで思い知ったことなのだけど、この日の講演の最終章、タイトルは「謎と永遠」だった。なるほど、『嘘の心』のラスト、そして『刑事ベラミー』のあのショット。海と空と地平線、と聞けば、『気狂いピエロ』を思い出す。ゴダールランボーを引用して問いかけた、あの言葉だ。「見つけた。何を。永遠を。海と溶け合う太陽を」。あらためて、クロード・シャブロルの長編フィルモグラフィーの最後を『刑事ベラミー』が飾っていることに戦慄が走った。そして大久保氏の講演は『刑事ベラミー』のエンドロールと共に終わる。以前、蓮實重彦氏が「とことん日本映画を語る」のラストにホウ・シャオシェンの撮ったエドワード・ヤンを紹介して、何も言わずその場を去っていったイメージが重なり、グッときた。


クロード・シャブロル未公開傑作選はいよいよ明日から!『甘い罠』、『最後の賭け』、『悪の華』が上映されます。
http://www.eiganokuni.com/meisaku2-chabrol/


フランス映画祭2011特別プログラム「クロード・シャブロル特集 映画監督とその亡霊たち」は現在ユーロスペース編のみアップされています。日仏学院のラインナップも近いうち発表されるでしょう。
http://www.institut.jp/ja/evenements/10843


追記*この講演に参加してシャブロルがクルーゾーの『地獄』をリメイクしたのは必然だったと思えた。あと「水」とは関係ないけど『血の婚礼』のあの恐ろしい車上炎上シーンを再見したくなってる。


追記2*「空と海と地平線ショット」におけるゴダールとシャブロルの違いが講演では指摘されていました。この講演の展開がとても興味深いのは「海(水)」が様々な変容を遂げていくところです。不吉の予感としての「海(水)=液体」がシャブロル的「分身」の主題を経て『刑事ベラミー』のあのショットへと至るという。

不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話

不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話