『ヒバリちゃん、羽をむしるよ』(ピエール・ズッカ/1988)


輸入DVDでピエール・ズッカ&クロード・シャブロル『ヒバリちゃん、羽をむしるよ』。エリック・ロメールが「ジャン・ユスターシュと並んで、ヌーヴェルヴァーグ以後の最も重要な作家の一人」と讃えるピエール・ズッカの作品に、クロード・シャブロルが主演していることを知ったのは蓮實重彦氏の季刊誌「真夜中」における発言だった。近年日仏学院で上映された『ヴァンサンは牧場にロバを入れる』を体験した際、ズッカがピーエル・クロソウスキーの『ロベルトは今夜』(余談だがこの作品にはジュリエット・ベルトが出演している)を撮った、倒錯的映像世界を持つ個性的な作家、ということを改めて意識させられただけに留まらず、ブルジョワと「館」が捩れた共鳴をあげるその世界に、シャブロルとの近似性を強く感じていた。まず、ズッカとシャブロルの記録が残されている、ということが単純に嬉しい。そしてこの作品が興味深いのは、ゴダールの『はなればなれに』を年老いたシャブロルが見ている、という魅力的なシーンから始まるところだ。



先日ビブリオテックで行われた滝本誠氏と大久保清朗氏の対談「シャブロルという名の快楽」で興味深かった言葉の一つに、”たくさん食べて、たくさんセックスをする”主義のシャブロルの、後期作品におけるエロが「自分にできないことはしない」(滝本氏)と分析されたことだった。この窃視症的な作品の中でシャブロルは老境にさしかかった、「現役」を降りた役を演じている。老いたシャブロルが彼氏のいる若い女性を誘惑するものの、この老人の性欲のあり方は、女性の肉体に触れることを目的としていない。興味深いのは、この作品では双眼鏡をはじめ、シャブロルの主観ショットが多用されることと、その視界への遮光が強調されるところだ。浜辺に添えられた椅子に座る黒いサングラスを着用したシャブロルの目の前で、女性が着替えるシーンがある。女性はふとした拍子に肌をさらしてしまう。カメラはそのままパンして黒サングラスのシャブロルをとらえる。このシーンにおいてシャブロルの視線は何処を向いているのか分からない。その遮光された視線の不気味さだけが強烈な印象を残す。浜辺に置かれた椅子がディレクターズ・チェアーのように見えるところが興味深い。また、このシーンは『ヴァンサンは牧場にロバを入れる』における盲目の老人という「ウソ」を想起させる意味で二重に不気味なシーンになっている。『ヒバリちゃん、羽をむしるよ』の中で、シャブロルが若い女性の裸を能動的に窃視したかどうかはハッキリとは明かされない。逆に若い女性が業を煮やしたように自ら裸をシャブロルに見せることで、物語自体が無意識の欲動を得てしまったかのように映る。その光景はあまりにも奇妙かつ、脱臼的だ。


ところで『ヒバリちゃん、羽をむしるよ』のシャブロルはあのチャーミングなギョロ目を輝かせて、本当にやりたい放題、実に楽しそうに演じている。真夜中に小屋の前で友人と手を取り合って踊る、巨体同士のダンスシーンは面白い。レコードプレイヤーからは『悪の華』で無人の家から聞こえたダミアのシャンソンのように、「Bel Ami」が流れている。この場所には聞こえないはずの、いまは無くなってしまった音楽が鳴り響く。この音楽のノスタルジーが再度繰り返されるとき、「よき友人(Bel Ami)」は、1988年から現在へ向けた遍在性を帯びるだろう。ズッカもシャブロルも、この世界から旅立ってしまった。


追記*『ヴァンサンは牧場にロバを入れる』は傑作です。『ヒバリちゃん、羽をむしるよ』は個人的には『ヴァンサン〜』ほどの凄みは感じられなかったものの、興味深い作品でした。以下『ヴァンサンは牧場にロバを入れる』の過去記事。
http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20090208


追記2*ビブリオテックの対談の際、配られた「クロード・シャブロル 自らを語る」の資料で、シャブロルはお気に入りの画家を3人挙げている。「ベラスケス、ルノワール、それからマグリット」。この並びがシャブロルらしくて興味深い。また当日紹介されたシャブロルの料理本(レシピ付き)に興味津々です。