『ジャガーの眼』(クロード・シャブロル/1965)


クロード・シャブロルが「三回だけの我慢」として虎シリーズ2作と共に撮りあげた当時流行のスパイ映画。実はちょっと前に見た作品なのだけど、この映画については何か書いておきたかった。主演のマリー・ラフォレが若い頃のジェーン・バーキンとタメを張るくらいキュートなこの映画を個人的に偏愛してしまう。ドクター・ノーならぬドクター・カーの、カエルのつぶれたような耳障りな声が響き渡る本作は、スパイ映画のパスティーシュを装いながら、こちらの油断を裏切るサスペンスのシャブロル的逸脱に溢れている。『ジャガーの眼』が変装(男装)の映画であり、マリー・ラフォレとステファーヌ・オードランの男装に役割を超えた豊かな+αが生まれていること。殺しのシーンにおける緩やかに時間を使った、しかし創意工夫に満ちた演出に心を奪われる。


傑作『ダンディ』でもさらりと過激に使われていたスキー場のリフトが殺しの装置となる。このシーンのたっぷりと時間を使ったサスペンスと+αが刺激的だ。刺された男がリフトに乗ったまま折り返す、このときの死体のような体の傾きに震撼する。また、モスクのような舞台における、これまた緩やかに時間を使った、芸術的とも言いたくなる見事なカメラワークによる”欺き”作戦。大袈裟な劇伴は付かず、アラブ的な歌唱だけが静けさの中に響き渡るこのシーンは、的確なアクション処理(落ちたナイフへの蹴り→次のスペースへの横移動!)の背景に、ロケ地の湿度・空気を漂わせる。



マリー・ラフォレの男装がスパイ映画の枠内に忠実なのに対して、ステファーヌ・オードランの男装(その影!)はジャンル映画の枠組みから逸れていく。オードランがベッドの上のラフォレの服をゆっくりと脱がせていくシーンは、この映画のもう一つのハイライトだろう。ラフォレの絶妙にはだけた太腿に手を添えるオードランはとてもエロティックだ。美女と男装の美女という倒錯した愉しみが不意に溢れだす。「変装」を快楽的に利用することで変異が生まれている。最も面白いのはこの変異に着地点がないことかもしれない。


虎シリーズ2作や『ジャガーの眼』の、シャブロルが自虐的に言う”最低のお遊び”の経験が、このあとのジーン・セバーグとの2作(『境界線』、『コリントへの道』。どちらも傑作!)を用意する。『悪意の眼』までの作家性の強い作品から一度距離を置いたかのような”みせかけ”と、この後の傑作連発の軌跡をとても興味深く感じると同時に、シャブロルが自虐の果てに発見した快楽の玩具のような本作の奇妙なバランス感覚を愛してやまない。なによりキュートだしね。


追記*冷戦ギャグも素敵だ。モロッコの昼と夜!