『Corps à Coeur』(ポール・ヴェキアリ/1979)


輸入DVDでポール・ヴェキアリ『Corps à Coeur』。英題を『Drugstore Romance』。ポール・ヴェキアリといえば日本公開された『薔薇のようなローザ』を蓮實重彦氏の著作で知ったのが最初の出会い。日本では過去に代表作『女たち、女たち』や『ワンスモア』といった作品が単発で特別上映されたくらいでしょうか。ヴェキアリを筆頭とするグループ(ジャン=クロード・ビエット等)には勝手にマージナルな印象を持っている。というわけで個人的には初ヴェキアリなわけなのだけど、これが奇妙な突き抜けを起こす作品で、ものスゴク語りにくい(無字幕だったこともあるのだけど)。ただこの身体から漏れるような音と光の共鳴は、記憶の片隅に強烈な傷痕を残すだろう。


ガブリエル・フォーレ「レクイエムOp.48」の響きを基調として導かれる修理工30男と薬剤師50女の恋物語。50代の女性をヴェキアリの愛する女優エレーヌ・シュルジェールが演じている。ニコラス・シルベール(30男)の部屋に飾られた無数のモノクロ写真(街の風景)に感じるノスタルジックな記憶への憧憬。エレーヌ・シュルジェール自体が「ダニエル・ダリューマレーネ・ディートリッヒのイメージを重ね合わせた女優」と形容されることも重要だろう。『Corps à Coeur』ではノスタルジーという亡霊が現実世界に細菌レベルで侵入する。この亡霊/肖像は時制を狂わせるどころか時制を失くしてしまう。過去でも現在でも未来でもない「上演」の舞台が生成される。


エレーヌ・シュルジェールに時制がないことをより意識させられたのはDVD特典に収録された『Avec Sentiment』(1987)という短編を見たこともある。この『Avec Sentiment』は庭園と洞窟と霊園を舞台にした傑作なのだけど、ここで奏でられる音楽とダンスはもちろん亡霊によるものだ。しかしラスト、鏡の前で亡霊は撮影カメラの被写体になる。女優は撮影隊ごと鏡に映っている。境界は消失する。


同じく『Corps à Coeur』におけるノスタルジーは細かく分解され湿度の高いフラッシュバックのように画面に表される。この時制と境界を失った世界を貫くのは「歌」。というところが興味深い。フォーレの「レクイエム」でありシャンソンである。エレーヌとニコラスが抱擁するシーンは歌によって反復する。身体は歌によって召喚され消滅する。エレーヌ・シュルジェールが愛される悦びの絶頂に達したところで叫ぶ声が全てを超越する。


エレーヌ・シュルジェールの50代の全裸は浜辺で強い光に包まれる。エレーヌの50代の体にはデカダンスを備えた50代ならではの独特の美しさがあるように思えた。目隠しをされたエレーヌが音楽と共に手探りで歩く姿は闇の舞踏のようだ(このような光と影を利用したズラシのホラーテイストは『Avec Sentiment』にも顕著)。


階下から屋上へ更に上昇しパーティーを俯瞰するカメラは街と歌を捉える。この運動と視点の妙技、エレーヌ・シュルジェールの身体の光と影が素晴らしい。正直途中までダラっとしてるかなと思っていたものの、ニコラスのストーカー行為あたりから徐々に見逃せなくなり、まさかの貫通、ツキヌケタ。


追記*『Corps à Coeur』はジャン・グレミヨンガブリエル・フォーレに捧げられています。ポール・ヴェキアリは30年代フランス映画(曰くジャン・グレミヨンルネ・クレール、ピエール・プレヴェール)に強いオブセッションを持っているとのこと。尚ダニエル・ダリューはヴェキアリ憧れの女優。