『あの夏の子供たち』(ミア・ハンセン=ラブ/2009)


オリヴィエ・アサイヤスの『8月の終わり、9月の始め』の肖像としての少女や、あの素晴らしい『感傷的な運命』における息を呑む美しさによって個人的には神秘化している感すらある女優ミア・ハンセン=ラブの監督第2作。ユセフ・シャヒーンやエリア・スレイマンといった中東の映画作家を紹介したアンベール・バルザンという実在のプロデューサーをモデルにしたという本作。ミア自身のクールビューティーを受け継いだかのような少女たちのキリリとした顔立ちが美しい。3姉妹の内の一人を思春期の複雑な女の子とするあたりのキャスティングによる語りの役割分担がまずもって素晴らしい。下の二人の少女(画像参照)の無邪気な「お遊戯」を前にした長女や母親の物語が並置されることでコントラストがより強く浮かび上がる。グレゴワール=父の物語としての前半を経て物語は急速に母娘の物語=女性たち(だけの)の物語へ向かうことになる。母と3人の娘は手を繋いで湖の畔を歩む。パリの街に放たれた「孤児の物語」。


グレゴワールと少女たちの無邪気な戯れが、まるで演出されていないかのような親密さで撮られている前半。少女たちの声で賑わう幸せな家庭の風景、と同時に思春期らしいとしか言いようのない疎外を感じている長女の描写を経た悲劇の後、残された「孤児の物語」がやがて「映画の孤児」の物語であることが証明される。グレゴワールの残した未完のプロジェクトと格闘する母娘の軌跡そのものが映画の軌跡/奇跡になる。先日のデプレシャンの言葉を思い出し胸が熱くなった。「映画では雪が降るだけで魔法になるんだ。それは子供にだって分かることなんだ。」。「さよなら」は勇気を持って能動的に告げられ、その隣で長女はちょっとだけ泣く。パリの街をゆくパレードのような母娘一家の横顔が美しい。彼女等の言うように、たとえ人や物が消えてしまおうと、映画の魂だけはいつまでも残り続けるのだろう。美しい。


わたしは少女のとき、ママに聞きました
美しい娘になれるでしょうか?
ケ・セラ・セラ
なるようになるわ
先のことなど分からない
分からない
ケ・セラ・セラ
  (「ケ・セラ・セラ」より)


以下、『あの夏の子供たち』公式サイト。初夏恵比寿ガーデンシネマにて公開。買い付けてくれた方、エライ!
http://www.anonatsu.jp/index.html