『ジャン=リュック・ゴダールとの対話の断片』(アラン・フレシェール/2007)


日仏学院「アラン・フレシェールとル・フレノワ国立現代アート・スタジオの軌跡」にてジャン=リュック・ゴダールとの対話断片集。ポンピドゥー・センター行なわれた『ユートピアでの単数/複数の旅行』へ向けた作品制作(『Vrai faux passeport(偽造旅券)』)の様子などが収められている。この作品はゴダール側からの依頼によって実現したらしい。また「アラン・フレシェール」の署名はあるものの、上映前のご本人の挨拶では「監督をしたのではなく撮影をしたのだと思っていただきたい」とのこと。上映後のアラン・フレシェール&ドミニク・パイーニのティーチインではその理由らしきもの(とは本人言ってませんが)が明かされた。フレシェールとしてはライティングばっちりでゴダールをカッコよくカメラに収めるつもりだったのだが、いざ招かれてロールのゴダール邸へ撮影隊を連れて行ったら「邪魔だ」と一蹴りに追い返されたのだとか。おぉ、キてるぜ、ジャン=リュック!


フレシェール自身「資料」というように、終始饒舌にしてミスティフィカシオンゴダールの姿を観察できるというだけで、このドキュメンタリーはとても価値のあるものだと思う。ゴダールが自宅スタジオで4つのモニターにDVD(『偽造旅券』)を流すシーンがあるのだけど、機材が反応せず困惑の表情を浮かべるジャン=リュックが可笑しい。「彼(=ゴダール)は微笑むだけで勝利してしまう」という上映後のフレシェールの言葉(名言!)が如実に表れたシーンだろう。ゴダールが饒舌の中に時折のぞかせる笑顔には最上級の安堵が宿ってしまう。『JLG自画像』に挿入されるテニスシーンのように、それは武装解除の微笑みだ。学生たちを前に講義するシーン(『アワーミュージック』さながら!)の物腰柔らかなゴダール。学生たちの作品(コンテンポラリー・アート。とても興味深い作品が並んでいました。水面を使った触れられる映像とか好き!)を興味深気にただ一定の距離だけは崩さずにジーッと眺めるゴダール。フレシェールによると「彼は最終的に理解できなかった」ということらしいのだけど、其処此処にゴダールのアートに対する屈折したコンプレックスがあるように感じた。かつてスタン・ブラッケージとの共振を指摘されたゴダールがとても喜んでいたというエピソード(「nobody」誌によるキップ・ハンラハンのインタビュー)を思い出す。あくまで個人的な印象だけど、逆にフレシェールの発言の端々にはゴダールに受けた屈辱が少なからず残っているようにも感じた。ゴダールと仕事をした人がほぼ受けた屈辱。『ユングサウンドトラック』で菊地成孔氏が指摘するようにミシェル・ルグランはやはり例外中の例外なのだろう。


「私たちフランス人にとってゴダールはスイス人だ。このことはとても重要だ。」というドミニク・パイーニの言葉が何度も心の中リフレインしていた。亡命者としての越境者としての余所者として被迫害者としてのゴダールの孤独が浮き彫りになる。30年来の友人だというパイーニ氏でも68年5月革命のゴダールを愚かだと言い放っていた。フレシェールは更に苛烈だった。和やかな雰囲気で進行するティーチインもここだけは苛烈な空気に包まれた。ゴダールとフランスの間には未だに消えないシコリがある。自身を「最後の映画作家」だと名乗るジャン=リュックの決着はまだついていない。新作『SOCIALISME』の公開(カンヌでお披露目という噂)、そしてホロコーストを描いた(!)次作の公開が待たれる。


追記*坂本安美さんの挨拶によると『ジャン=リュック・ゴダールとの対話の断片』は日本語字幕を付けて上映、ソフト化しようという動きもあるそうです。このソフトはフランスでDVD化されています。


追記2*巨大なミキサーと4つのモニターで作業する”マッド・プロフェッサー”なゴダールが拝めます。次回上映は3月12日(金)。
http://www.institut.jp/ja/evenements/9532