『黄色い家の記憶』(ジョアン・セザール・モンテイロ/1989)


輸入DVDでジョアン・セザール・モンテイロ『黄色い家の記憶』。マノエル・デ・オリヴェイラと共に現代映画を牽引する/した(モンテイロは2003年に没)神話的且つマージナルな映画作家として知られるジョアン・セザール・モンテイロポルトガル映画祭や日仏学院での特別上映を除き、ほとんど日本では紹介されていないという状況は残念なことに変わりそうもない。この『黄色い家の記憶』という途方もない傑作を見て「ナンテコッタ!」と思った次第。

モンテイロ、WHO?という方は以下のリンク、「明るい部屋」さんのホームページ「映画の誘惑」の人名辞典の項を参照してみてください。http://www7.plala.or.jp/cine_journal/essay/monteiro.html



船上のカメラがゆっくりと港を迂回しながらリスボンの街をややノスタルジックに長い長いショットで捉える。モンテイロ自身のナレーションが重なり、やがて船はスピードを上げ、いよいよ出航すると、惜別への意を決したかのようなカメラはそのまま斜め下にパンして画面は船の荒い波に呑み込まれる。セカンドショットでマリア像、教会の椅子で静かに佇む初老の男性=モンテイロ。しかしこの喪に服すような静けさはあっという間に打ち砕かれる。老人は女性の着替えを覗くため女性を口説くため快活に動き回る。街に出ては空き缶や煙草(ポイ捨て)をヒールキック(!)。この痴呆症的な奇行の目立つ老人=ポルトガルの詩人ジョアン・デ・デウスを演じるモンテイロ自身の絶妙な演技に思わずバスター・キートンの名前が出かける。運動神経がよい。


女性の特に足への偏愛がやや象徴的に描かれる。ジョアンの部屋の壁に掛けられたポスターは序盤ではモデルの足のみがフレームギリギリに映っているのだけど、女性がストッキングを脱ぎジョアンと愛を交わす?中盤のシーンでその全体像が明らかになる。足は軍服を着た男性のもので、その傍らに女性のハイヒールがちょこんと置かれている。ハイヒールが匿名的を帯び、ある肖像となる、ひどくエロチックだ。


ジョアンの誕生日パーティーが開かれる。「クラリネットクラリネット!」の掛け声がかかり女性が演奏をはじめる。すると急な大雨、女性は大雨の中、クラリネットを演奏したまま取り残される。この雨のウソっぽさ、そして音のウソっぽさ。いつでもフレームの外に待ち構えているウソが刺激的だ。珍しい泣き声をするインコ、クラリネットの「サマータイム」、秒針の過剰な音、ベートーベンの銅像と「運命」、夢魔的な幻聴、そして幻視。指揮者の背中アップからゆっくりカメラが引いていくと巨大なオーケストラが立ち現れ、更にどんどん引いていくと巨大な教会と夜がフレームいっぱいに広がり、やがてそこに観客の後頭部が入るワンショットが極めつけ。幻視、といえばジョアンの覗く着替え中の女性、その影は窓越しにショーアップされている(!)。


軍服を着て廃墟の鉄筋格子を叩きまくる不良老人ジョアンは警察に捕まり施設に送られる。戦時中に負傷者が入るような廃墟然としたその施設で、ジョアンは走り出す、床を蹴る音(パン!パン!と凄い音)が徐々に高まり、老人の全力疾走にいたる驚愕の様が360度パンで撮影されている(舞台が円形状だということがそこで分かる)。ジョアンが立つと自ずと扉が開らく。街路では子供たちがマンホールの蓋を開けてワイワイ騒いでいる。そして子供たちだけでなく全ての観客を急襲するトンデモないラストが待っている!


終始、鳥肌が立ちっ放しでした。途方もない傑作!