『レイチェルの結婚』(ジョナサン・デミ/2008)


渋谷ル・シネマにてジョナサン・デミ新作。海外評は軒並み高かった本作、公開2週間経ってもあんまり評判聞かないなぁと不安に思っていたのだけど、これが実に素晴らしい作品だった!大好きですね。もっともっと話題になっていい作品だと思うのですが、、。開巻早々、え?ジョナサン・デミまでダルデンヌ兄弟!?な手持ちカメラが披露され不安ばかり広がるわけですが、きっちり演出力のある人がこれをやれば本家を軽く超えられることの証左になっている、といったらダルデンヌ兄弟に失礼ですが(『ロルナの祈り』はダルデンヌ兄弟ダルデンヌ兄弟を繰り返している以上のものが見つからず残念な作品だった。せめて『息子のまなざし』における無駄に繰り返されるオジサンの腹筋のような下らないユーモアがあればよかったのに)。



主役のアン・ハサウェイが決定的に画面に収まりのよい顔をしている。脇を固める役者陣(人種越境)が一人余さず素晴らしい。些細な一瞬における空気の変え方、又は、その空気を変えまいと留まる、粘る、相互の力が、演出における賭けとしてスリリングに画面を充実させている。姉レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式前々夜、リハビリ施設から出てきたばかりの妹キム(アン・ハサウェイ)のスピーチはパーティーに参加した全員を不安で凍りつかせる。ここでのアン・ハサウェイの独演が素晴らしい。すべてを受け入れ、しかし何処か迷いながら生きているようにもみえる父親が素晴らしい。父親は皿洗い機を使って新郎と熱い決戦を繰り広げる。これは映画全体にいえることなのだけど、ギャラリーを含めた盛り上がり、ライブ感がぐるんぐるんにグルーヴしていて気持ちがいいのだよね。


実の母とのいざこざ=アクションの後、車で森に突っ込む彼女に涙。結婚式に間に合った妹を姉が迎え、やさしく介護するようにお風呂に入れるシーンで更に涙。♪レイチェル〜レイチェル♪とゴスペルのような唄に招かれ、ダンスホールニール・ヤング、サンバ、現行R&Bと種々様々な音楽で踊り明かすパーティーがスタート。アン・ハサウェイの首にはレイチェルと実の母と3人で強く抱きしめあった時の赤い跡が出来ている。今までの荒々しい画面が嘘のようなヴァイオリンの演奏と自然の静寂で包む上品なラストがこの上なく美しい。必見!というか、見て見て、と言い回りたい気分。


屋敷の所々でバイオリンによる演奏が聴こえる(各場面に応じた効果音)のは同じく結婚式を扱った『ウェディング』(ロバート・アルトマン)への美しいオマージュ。これまた固有名詞の羅列で何の芸もありませんが、ジョナサン・デミダルデンヌ兄弟を一瞥しながらアルトマンを意識/経由し、最終的にジョン・カサヴェテスを目指すことで、この美しい「インディペンデント」作品を彫刻したのではないか。