『聖女ジャンヌ・ダルク』(オットー・プレミンジャー/1957)


アテネフランセにてクリス・フジワラ氏による映画表現論「ジーン・セバーグ」編。ロマン・ギャリの作品でも全然オッケーだよ(未見だし)と、毎回行ってみなきゃ分からないドキドキの参考上映はオットー・プレミンジャーのクレジット見た瞬間に狂喜、そう、『聖女ジャンヌ・ダルク』!これずっと見たかったんです。神話的な作品。クリス・フジワラ氏によると『聖女ジャンヌ・ダルク』に纏う神話には「ジーン・セバーグジャンヌ・ダルク」と「プレミンジャー=暴君/怪物」という二つの側面があるとのこと。上映後の講義でもここにゴダールを交え、謂わば「俳優作家主義」とでも言うべき大変に興味深い考察が行なわれる。昨日の「ジェリー・ルイス」編も行けばよかったと激しく後悔。


それにしても『聖女ジャンヌ・ダルク』で本当に驚いてしまったのはジーン・セバーグの登場の仕方である。アイオワ(田舎)出身の演劇少女ジーン・セバーグ(当時18歳)のデビュー作にして、その後、耳を塞ぎたくなるほど無惨な運命を辿る(ロマン・ギャリの言うように事実上彼女を死に至らしめたのはFBIによる事実無根のスキャンダル作戦でしょう。興味のある方はドキュメンタリー『ジーン・セバーグの日記』とかケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン2』を参照してください)この神話的な女優がスクリーンに映る最初のカットは、なんと顔全体が影で隠れているのです。最良の古典ホラーのように始まるこの映画にあって、セバーグの「亡霊化」はラストへの伏線になっているのだけど、それがセバーグの人生における伏線にまでなっていることに戦慄を覚える。また、いままで抜粋映像でしか見たことのなかった火刑台のシーン(実際にセバーグの顔面に火の粉が移り、演技でない悲鳴があがる→そのままOKテイクとして本編に使われている)は連続した流れの中で見るとより残酷だ。ちょっと、むごいよ、これは。