『夜空に星のあるように』評

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Poor Cow

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Poor Cow

CINEMOREさんにケン・ローチの長編デビュー作『夜空に星のあるように』評を寄稿させていただきました。

 

cinemore.jp

 

『夜空に星のあるように』は、ケン・ローチが「未熟」「無駄」と思っている部分に、むしろ魅力的なところを感じる作品です。ジョイ(キャロル・ホワイト)の意識の流れに寄り添うような「無駄」が、この作品には必要だったと思えます。

 

また、本作が男性からの有害な視線をハッキリ描いているのは、共同脚本を手掛けたネル・ダンの影響が濃いのかもしれません。ネル・ダンは、『アップ・ザ・ジャンクション』でもケン・ローチと仕事をしています。さすがに未読なので触れることができませんでしたが、「Woman Film」の批評によると、

 

ジェーン・オースティンヴァージニア・ウルフ、メアリー・ディレイニー、ネル・ダンなど、反体制派の英国フェミニスト作家たちは、反抗的な女性の物語を書いてきた豊かな歴史があり、それはジェーン・アーデン、サリー・ポッター、アマ・アサンテ、アンドレア・アーノルドの映画にも反映されている。女性の自己決定権は依然としてフェミニストの問題であり、『夜空に星のあるように』が新しい観客に楽しんでもらえるよう再上映されることは、ジョイが言うようにまさに「素晴らしい」ことなのである」

 

とのことです。

 

今回はキャロル・ホワイトを起点にする評を書いてみました。キャロル・ホワイトは「バタシーのバルドー」(同名の悲痛なTVドキュメンタリーがあります)と言われ、マリリン・モンローブリジット・バルドーに憧れていたそうです。ドキュメンタリー(別の役者さんが演じている)では、盛んに父親からの「期待」が語られます。『夜空に星のあるように』は、ケン・ローチの「キャロル・ホワイト三部作」の最後の作品にあたります(前二作はTV作品『アップ・ザ・ジャンクション』と『キャシー・カム・ホーム』)。

 

ケン・ローチとの仕事で次世代を代表するイギリスの女優としてハリウッドに渡ったキャロル・ホワイトは、アルコールと薬物で身を滅ぼしていきます。作品に恵まれなかったかというと、そんなことはなく、評でも触れたとおりマーク・ロブソン『屋根の上の赤ちゃん』はキレキレの演出技術が驚きでしかない傑作サスペンスです。ペット用の籠に赤ちゃんを入れて持ち運ぶ犯人。入ってないと分かっていてもドキドキします。そして『ロリータ』のプロデューサー、ジェームズ・B・ハリスが手掛けた『Some Call It Loving』は、カルト作品としてジョナサン・ローゼンバウムが非常に高く評価している作品でもあります(実際、箱に詰められた美しい鉱石を見るかのような傑作です)。キャロル・ホワイトは「ポン引き、押し売り、嘘つき、そして元夫が私を崩壊させた」と語っています。

 

『夜空に星のあるように』の台詞を思い出します。

 

「完璧な人生なんてないと思う。自分が持っているものでやりくりして、幸せになるしかない」

 

方法論という意味では、テレンス・スタンプの言葉が興味深いです。

 

「ワンテイクでなければなりませんでした。テイクの前に彼(ケン・ローチ)がキャロルに何かを言い、次に私に何かを言うのですが、カメラが回ってから、彼が私たちに全く違う指示を出していることに気がつきました。だからこそ、二台のカメラが必要だったのです。混乱と自発性が必要だったのです」

 

「「アクション」と「カット」の間にすべてがあったのです。100%自発的にやったのは初めてのことでした」

 

この方法論は既にケン・ローチとの三作目だったキャロル・ホワイトにとっては自然なことだったそうです。

 

キャロル・ホワイトやケン・ローチの方法論については素晴らしいドキュメンタリー『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』を是非見てほしいです。ケン・ローチによる「映画の立ち上げ方」が記録されています。

 

余談ですが、プレミアリーグを毎週見ている者なので、ケン・ローチの映画を見ていると名前しか知らなかった土地の持つ「歴史」を感じられて面白いです。プレミアリーグのネタも出てきますしね。映画でサッカーが描かれていても、あまり感心したことがないのですが、ケン・ローチ映画の草サッカーはとても素晴らしいと思えます。他にはない理解の深さを感じます。

 

お時間あるときに、よろしくお願いします!

アニャ・テイラー=ジョイ論

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Anya Taylor Joy

リアルサウンドさんにアニャ・テイラー=ジョイ論を寄稿させていただきました。ほぼ『ラストナイト・イン・ソーホー』論として書きました。というのも、『ラストナイト・イン・ソーホー』は、どう考えても第一期アニャの総決算となる作品だからです。ここまでアニャを追ってきた者としては、アニャのすべてのモチーフがデラックスな形で本作に収められていることに驚きを禁じえません。

 

realsound.jp

 

以下、アニャ本人と監督、スタッフの発言集。アニャについて考える際は、周囲のスタッフの言葉が参考になりました。衣装、プロダクション・デザイン。それらが他の俳優さんより、より密接に結びついていると感じたからです。

 

「ベスの面白さは、彼女が奇妙な形でその時代から外れていることだと思います。彼女は必ずしも現代的ではありません。女性はまだ平等ではありません。それはおかしいことですが、60年代は確かにそうでした。ベスにはそれがわからない。彼女は自分の才能を深く理解しているので、女の子であることが自分より劣っていると考える人がいることを理解していません。彼女の考え方は世界との関わり方としては素晴らしいことですが、私は60年代という時代が抱いていた考えから一歩引いて、彼女をこの奇妙な小さな宇宙に生きる人物にしなければなりませんでした」

 

「おそらく自分が最も所属していると感じる場所は映画のセットだと思います。それが世界のどこであろうと、誰と一緒に映画を作っていようと、自分の居場所に最も近いものなのです。俳優という仕事は、家を見つけるための手段だったのかもしれません」

 

「私があなたに求めているのは、あなたのキャラクターを内面化することです。あなたの身体的な表現は無意識のうちに行われ、私はそれを記録していきます。自分が何をしているかは自覚していますが、それは常にキャラクターから来ているものです。モデル業の場合は、その逆ですね。見る人が好きなように解釈してもらうのです」(M・ナイト・シャマラン ~俳優とモデルの違いについて)

 

「あなたは感情を無限に蓄えているように見えます。それはとてもレアなことです。あなたはまるで露出した生の神経のようです。でも、それに頼ってほしくはありません。それが何であれ、才能と言っていいでしょう。そこに技術を持ち込めば、あなたの可能性は無限に広がるのです」(M・ナイト・シャマラン

 

「チェスの形、つまり幾何学的で対称的なものはすべて、衣装の中に見出すことができます。60年代は70年代や50年代とは異なり、彼女の容姿を引き立ててくれました。これは彼女のストーリーを語るのに最適で、チェスにも通じるものがありました。私が60年代を好きなのは、ある種のルネッサンスだからです。その年代に開発されたものは、永遠にモダンなものです。また、若い世代が独自のファッションを生み出した時代でもあり、それは今でも続いています。洋服の革新と革命の時代だったのです」(『クイーンズ・ギャンビット』衣装担当:ガブリエル・バインダー)

 

「チェック柄のコントラストは、ゲームそのもののニュアンスを反映しています。例えば、花柄のプリントにはない、決定的な、勝つか負けるかのゲームです」(『クイーンズ・ギャンビット』衣装担当:ガブリエル・バインダー)

 

「1950年代のスタイルを参考にしたルックでは、ジーン・セバーグをイメージしました。彼女はベス・ハーモンのようにアウトサイダーでした。ニューヨークのシーンのルックでは、イーディ・セジウィックをイメージしました」(『クイーンズ・ギャンビット』衣装担当:ガブリエル・バインダー)

 

「第1話でベスが着ているのは、母親が作ってくれたドレスで、ベスの名前が優しく刺繍されています。このドレスの色は、ベスの "家 "の感覚を表しています。彼女が再び "家 "に戻れる瞬間を作りたかったので、モスクワでの決勝トーナメントでも同じ色のドレスを着ています。この色を使うことで、彼女がようやく自信を持ち、母親が一緒にいることを表現したかったのです。この瞬間、彼女はこれまで最も恐れていた男性を恐れなくなります。最初のうちは、この色は彼女をとても脆くしていますが、最後には同じ色が彼女の強さの証となり、帰郷の象徴となるのです」(『クイーンズ・ギャンビット』衣装担当:ガブリエル・バインダー)←この発言、素晴らしすぎます!

 

「彼女がピーチのドレスを見た後、私は彼女に90年代のヴィンテージ・シャツを着せました。彼女が変身するときに参考にしたのは、ブリジット・バルドーです」(『ラストナイト・イン・ソーホー』衣装担当:オディール・ディックス=ミロー)

 

「アニャの動きがよく見えるように試作品を作り、エドガー・ライトに色を提案したところ、ピーチが一番気に入りました。ダンスのために階段を降りるシーンを撮影したとき、アニャのアイデアで服をめくってみました。彼女は本当に服を機能させています」(『ラストナイト・イン・ソーホー』衣装担当:オディール・ディックス=ミロー)

 

イエジー・スコリモフスキ監督のダークなコミックドラマは、1969年に撮影されたと思われるため、私にとっては60年代の映画に分類されます。印象的な長回しのセットでは、夜のソーホーの汚い姿を撮影しています。この映画は、公営プールで働くティーンエイジャー(ジョン・モルダー・ブラウン)が、年上の同僚(ジェーン・アッシャー)に恋心を抱くというものです。キャット・スティーヴンスがサウンドトラックに参加していることもあって、後の『ハロルドとモード』や『天才マックスの世界』のようなブラック・コミックのエネルギーを感じさせます。また、私はジェーン・アッシャーのプラスチック製のコートからファッションのインスピレーションを受けましたが、それはまさに素晴らしいものでした。この映画は、もっと多くの人が夢中になるべきカルト映画だと思います」(エドガー・ライト:『早春』を語る)

 

 

 

 

お時間あるとき宜しくお願いします。なにより『ラストナイト・イン・ソーホー』を是非!